1999年3月3日。

桃の節句にちなんだかどうかは知らないが、熊本市内のとある高級ホテル の大広間では、芝村一族の末姫である舞の「入隊激励会」と称するパーティ が、華やかに行われていた。
世界屈指の一族の催物であるだけに、招待客も一流と呼ばれるお歴々が、フロ アにひしめき合っている。

「……退屈だ」
目の醒めるような真紅のドレスの裾をつま先で軽く蹴りながら、本日の主賓 であるはずの舞は、率直な感想を漏らした。
胸に光るダイヤのチョーカーを片手で弄ぶと、小さくあくびをかみ殺す。
「顔を引き締めろ。一体、誰のためにここまで集まったと思っている」
間髪入れずに、舞の隣で粘着質な男の声がした。九州連合軍の司令にして、 彼女の従兄にも当たる芝村勝吏が、三白眼を細めて舞の横顔を睨んでくる。
「私はただの客寄せパンダで、連中が近づきたいのはそなたの方であろう? 私ではない」
鋭い眼光をものともせず、舞は淡々と返した。本当に私を「激励」する気が あるのなら、頼むからそっとしておいてくれと言いたかった。家で茶漬けで もすすりながら、明日の準備や読書をしていた方が、はるかに効率的な時間 の使い方が出来る。
「明日からそなたが入る小隊には、守護者を遣わせる。例のタイムゲートから の来訪者だ。主がそのような体たらくでは、示しがつかん。もう少し我が一族 に相応しい振る舞いを心がけろ」
「……気の毒に」
「──何だと?」
舞の呟きに、勝吏は眉を顰める。
「所詮、私は『存在』の為だけの期間限定付き、それも名ばかりの姫君だ。 そのような私に仕えた所で、何の得にもならぬではないか。時間の無駄だ。 そなたもそうは思わぬか?」
そう言葉を紡ぐ舞は、本当にうんざりとした表情をしていた。まるで己の立 たされた境遇を、他人事のように考えている風にも見える。
その年齢の少女にしては妙に凛々しすぎる従妹の顔を、今度は正面から見つ めながら、
「言葉に気をつけろ。何を考えているのかは判らぬが、曲がりなりにもそな たは我が一族の末姫なのだからな」
自分たちに揉み手混じりに近付いてきた政治家の一人に一瞥しながら、勝吏は 鋭くたしなめる。
「───判った。では、従兄殿の面子を潰さない程度には心掛けておこうか」
口元にわずかに笑みを零しながら、舞も又短く答えた。
そのまま窓際まで歩み寄ると、夜空に浮かぶふたつの月を見上げる。
その時。

「!」
防音完備のホテルとはいえ、微かに響く警報と戦車や軍用ヘリの音が、舞の 鼓膜を刺激した。
思わず窓に手を付いて、外の様子を覗おうとしたが、勝吏に止められる。
「放っておけ。今は、そなたの出る幕ではない」
「弱者を救うのが、我らの役目ではなかったのか」
その姿に相応しく、舞の声は凛々しく、又良く通る。だが、勝吏はそんな舞の 抗議を軽く受け流す。
「未だその時ではないと言っているのだ、たわけ。あれ位なら、連中だけ でも何とかするであろう」
勝吏は、礼服のポケットから小型の端末を取り出すと、舞の鼻先に突きつけた。 受け取った端末には、幻獣を示す赤い光と、自軍の青い光が点滅していた。
まるで、随分前から今日のことを知っていたかのような勝吏の物言いに、舞は 不快気に眉を吊り上げる。
「明日になれば、弥が上にもそなたにも働いてもらう事になる。今日くらいは、 残された時間をゆるりと使うがよかろう」
「……つまり、私に残された自由な時間は、今宵限りという事か」
端末を返しながら、舞は自嘲気味に呟く。
「芝村ともあろう者が、安穏な生活を望むのか」
「いや。…ただ、私はこのような無駄な時間を過ごすよりは、戦っていた方 が気が休まると思っただけだ」
失礼する、と短く言い捨てると、舞は勝吏から背を向けた。
履き慣れないパンプスのヒールを鳴らしながら、大広間の入口から大理石の 回廊に向かう。

「───舞を追え」
「かしこまりました」

従妹の背を見送りながら、勝吏はそれまでずっと傍らにいた細身の美女に声 を掛けた。ウイチタ・更沙。勝吏の副官であり、芝村一族の末姫である舞の世 話人としても働いている女性である。
更紗は、短く承諾の返事をすると、音も立てずに舞の後を追った。
「……変異体(イレギュラー)が」
足音が遠ざかるのを確認すると、勝吏は渋面混じりにその言葉を吐き捨てた。


だだっ広い回廊に、ふたつの影が浮かんでいた。
小さな影と、その後ろから少し離れて付いてくるやや大きめの影。
「いつまでついてくるつもりだ?」
舞は足を止めると、更紗を振り返った。ヘイゼルの剛毅な瞳が、真っ直ぐに 更紗に向けられる。
「貴女がお戻りになるまでです、舞様」
14歳の少女にしては妙に強い瞳の光に、更紗は内心で僅かに驚いたが、それで も平静な声で答えた。
「…ご苦労なことだな」
形式どおりの更紗の返答に舞は軽く肩を竦めると、再び踵を返して歩き出した。
やはり更紗も、無言で後に続く。
歩きながら、更紗は己の任務の対象である芝村の姫君について、上から言い渡さ れている事を思い出していた。

『変異体(イレギュラー)』。
芝村一族の末姫である筈の舞は、裏で一族からこの識名(コード)で呼ばれて いる。
セプテントリオンが生み出してしまった、突然変異の実験動物。想像以上の 成長を遂げてしまったこの少女には、秘密裏に行動や思想に関する調査・監 視が随時行われている。
現時点では未だ許容範囲だが、もし彼女が一族に歯向かうような姿勢を見せ た時には、「危険分子」として即抹殺の命令が下されていた。
───出来る事ならば、そのような日は永遠に来なければいい。
更紗は、任務を遂行する者としても個人としても、心の底からそれを強く 願わずにはいられなかった。
「…?」
思案にくれていた更紗は、歩を止めた舞に気付くのが少し遅れた。危うくぶつ かりそうになったが、どうにか踏みとどまると再度こちらを向いた舞を見る。
「──舞様?」
「そなたの職務の忠実さには感心しよう。だがな……」
「はい?」
語尾を上げる更紗を、舞は少々困ったような顔で見つめ返してくる。
「……頼むから、トイレくらいひとりで行かせてくれまいか」
そう言って、舞は顎で回廊の曲がり角に位置する洗面所を指した。うっすら と頬を染めながら、両手を腰に当てて更紗を軽く睨む。
「…これは、失礼致しました」
恭しく頭を下げると、更紗は舞から少し距離を置く。
舞は「用が済んだら戻る」と告げると、ぱたぱたと足音を立てながら回廊を 駆けていった。
舞を見送る更紗は、その時の彼女の口元が僅かに綻んでいた事までは、残念 ながら気付かなかった。


洗面所の窓から、まんまと外への脱出に成功した舞は、そのまま戦火が轟く 市街地の奥へと駆け出した。
途中、民間人への避難を促す声が聞こえたが、その声を無視すると、今にも 折れんばかりにヒールを鳴らせながら歩を進める。
「──確かに、戦況はこちらが有利と見た。だが……気に入らん。これも『そ なた』がずっと昔から予測していた事だというのか?」
誰に言うでもなく、だが舞はあからさまに表情を歪ませた。脳裏に浮かんだ ある男の姿を、頭を振ってかき消そうとする。

彼女には───舞には、ある役割が担われていた。
人類の決戦存在。俗にHEROと呼ばれる『存在』を、その手で鍛え、作り上げ よと。
『あの男の考えそうな事だ……計画の為には、己の娘に当たる者でも平気 でモノとして利用する』
乱れた髪を軽く梳くと、舞はドレスの裾を捲り上げ、太腿に忍ばせていた 折り畳み式の二振りの小太刀を取り出した。軍人が白兵で使用する超硬度 カトラスと同じ素材で作られたそれは、彼女が自分専用に取り寄せた愛用 の武器である。
刀の柄に巻かれた赤い組紐と、更にその先端に付けられた金と銀のふたつ の鈴が風に揺れ、リン…と涼やかな音を立てた。
『せいぜい、私という道具を作った事を後悔するのだな。──私は、そなた の思い通りになどならん』
「待っていろよ……」
舞は小太刀を握り締めると、ぎり、と歯を食いしばる。すると、何処からか 人間の悲鳴と、それ以外の泣き声のような音が聞こえてきた。
舞は我に返ると、一目散に声のした方向へと足を急がせた。見ると、数ブロ ック先で逃げ遅れた民間人の女性と、それを庇う様にアサルトライフルを 構えたウォードレス姿の学兵が、正面から威嚇するゴブリンと呼ばれる幻獣 に対峙していた。

「くそぉ!」
学兵のアサルトから、幻獣めがけて弾丸が放たれる。
しかし威力が弱いのか、あるいは実際の幻獣を前にして照準が狂ったのか、 ゴブリンの身体には当たらない。その内に、口のないはずのゴブリンから、 キシャアアアと耳をつんざくような音が発せられた。
ゴブリンは、赤い目をギロリと光らせると、学兵から民間人の女性に視線を 移した。異形の瞳に、怯え切った非力な人間の姿が映し出される。
幻獣に襲われた人間には、幾通りかの悲惨な末路がある。
命を奪われた後、手足をもぎ取られて標本のように並べられるもの。
あるいは、死してもなお異形の怪物の手によって、辱めを受けるもの。
前者は男性、後者は女性の場合である。
目の前の怪物が何を思っているのか、嫌でも理解してしまった女性は、耐え 難い嫌悪と恐怖に金切り声を上げた。
その声に呼応するように、ゴブリンは身を躍らせると、非力なふたりの人間に その身を押し付けようと迫った。
瞬間。

「キョエエェェ!」

人間の皮膚とはおよそかけ離れた醜悪な幻獣の片腕が、鈍い悲鳴と共に地面 に落ちた。
突然の事に学兵は慌てて顔を上げると、懸命に状況を把握しようと周囲を見 渡す。
続いて、ウォードレスに身を包んだ学兵のスコープには、信じられないもの が映った。
戦場にはまるで似合わない真っ赤なドレス姿の少女が、まるで肉かチーズで も切るように、手にした小太刀でゴブリンの身体を真っ二つに切断したので ある。
生命力を絶たれたゴブリンは、くぐもった声を上げながら地に倒れた。そし て数秒の時を経て、「幻獣」という名の通り、しゅうしゅうと跡形もなく、 まるで幻のように消えていった。
「あ…あんた一体……」
「───私の事より、早くその民間人を連れて行くがいい」
学兵の質問を遮るように、舞は早口でまくし立てると、素早くその身を翻す。
舞が去った後には、軽やかな鈴の音が風に乗ってひとつ鳴り響いた。


戦況は、俄然人類側の有利に進んでいた。
舞は小太刀をしまうと、建物の影からゴブリンとゴブリンリーダーを見つめた。
ビルの屋上から撃たれた機関銃の弾が、ゴブリンの身体に直撃する。
仲間を倒されたゴブリンリーダーは、高みにいる人間を攻撃しようと武器を投 げ付けたが、屋上の狙撃手を仕留める事は出来なかった。逆に、新たな弾丸が ゴブリンリーダーを襲う。
「……中々の腕前をしている」
幻獣を相手に善戦している人物に、舞は素直に感心した。ふと、その人物に興味 が沸いた舞は、ビルの谷間を器用にすり抜けながら、一人と一匹の勝負の場に、 一歩一歩近づいていく。
黒い月に覆われながらも今なお光を放ち続ける青い月が、屋上の人物を、まるで 包み込むかのように照らしていた。
その時。
銃声からほんの数コンマ遅れて、ゴブリンリーダーの頭部が、完全に破壊された。
勝負は狙撃手に軍配が上がったようである。
しかし、倒される寸前にゴブリンリーダーの投射した手斧が、弧を描きながら屋 上の人物を襲った。
攻撃を受けたのか、あるいはバランスを崩したのか、ビルの屋上から人影が落ち てくる。
「───いかん!」
舞は、低く咆哮を上げると地を蹴った。否や、常人には信じられないスピードで 落下点へと移動する。
落ちてくる人影を確認すると、利き足で跳躍しながらその身体を受け止めた。そし て、そのままさほどの苦労もなく、まるで加速や慣性の法則のすべてを無視した かのように、すとんと着地する。
芝村一族の末姫である彼女には、他の第6世代とは決定的な違いがある。
「力翼強化服」…俗に言うウォードレスを着用する為に遺伝子操作された彼らと は違い、舞は壮絶なまでの鍛錬によって、今の能力を身に付けたのである。
他の世代が装着すれば、強化人工筋肉にたちまち全身の骨を砕かれてしまうウォ ードレスを、彼女は訓練の賜物によって、身に纏う事が出来る。
故に、ウォードレスを着用していない方が、己の身体を操るのにかえって都合の 良い場合があるのだ。
………もっとも、ゴルゴーンやミノタウロスなどの中型幻獣を相手にする時は、 流石にそういう訳にはいかないが。

「───む、」
些か間抜けな声が、舞の口から出た。
続いて、ボキッと嫌な音がしたかと思うと、持ち主と違って何の訓練も耐性も 身に付けていなかったパンプスのヒールが、その儚い生涯を終えていた。
「…まったく。『はいひーる』などと、無駄に踵の高い靴など履くものでは ないな」
心の底からそうぼやくと、舞は腕に抱えた人物を見る。
その男は、東洋人には見られない金色の髪と青い瞳をしていた。ウォードレス を装着していなかったせいか、落下の際に少しでも被害を最小限に食い止めよ うとしたのであろう、その大柄な身体を丸めて硬くさせていた。
戦士として申し分のない体格と、的確な行動と判断力を併せ持つ男。
『ウォードレスなしに、あそこまでの立ち回りが出来るとは……』
自分の事はしっかり棚に上げてそう思うと、舞は男を抱えたまま、足元に転がる 白い帽子を片手で拾う。
「大丈夫であったか?」
舞は、突然の事に半ば呆気に取られている男に声を掛けると、ニッコリと笑った。


「一体、今まで何処をほっつき歩いていた」
ホテルに戻った舞を迎えた勝吏の眉は、舞が出て行く前よりも、10度は確実に吊り 上っていた。
勝吏の隣では、更紗が所在無げに立ち竦んでいた。失策を相当咎められたのか、その 美貌には疲労の色が滲み出ている。
「私は更紗殿に『用が済んだら戻る』と告げたのだ。そして今、用が済んだのでこう して戻ってきた。彼女を責めるは筋違いだ」
両手を腰に当てたまま、舞は従兄を見上げた。その不敵なヘイゼルの瞳に、勝吏は 瞳孔を僅かに開く。
「──その格好はどうした」
痛む頭を押さえながら、勝吏は従妹を見下ろした。今の彼女は、Tシャツにジーンズ、 レザーのジャケットにショートブーツという出で立ちなのである。
あまつさえその服装は、ホテルに到着する前の、舞が身に付けていたものであった。
「パンプスの踵を折ってしまったのだ。やはり、私には『はいひーる』などという 大人の靴は10年早いようだ。ついでにドレスも汚してしまったので、着替えたの だが」
嘘は付いていない。だが、そこに行き着くまでの過程はすべて端折って、舞は淡々と 説明した。
「…もうよい。後は俺がやるから、お前は先に戻るがいい」
「判った。更紗殿、護衛を頼む」
「──はっ」
苦虫を噛み潰したような表情の従兄をその場に残すと、舞は更紗を連れて意気揚々 と引き上げていった。


ホテルの地下駐車場から黒塗りのリムジンに乗り込むと、舞はゆったりとしたシ ートにその身を預けた。
「───熊本の街は、如何でございましたか」
助手席から更紗の声がした。一見普段と変わらない物言いだが、己の感情を努めて 抑えている様子が窺われた。
「何のことだ?」
「隠さなくとも結構です。勝吏様には申し上げません。確かに、貴女は嘘を付いて はいませんでしたものね」
そう続ける更紗の声には、何処か諦めの様なものも混ざっていた。芝村の変異体 に付いている自分は、これしきの事で動揺してはいけない。そう思い直したのか、 あるいは開き直っていたのかも知れなかった。
そんな彼女に、舞は内心で苦笑しながら、
「…取りあえず、明日から退屈だけはしないですみそうだ」
簡潔に答えると、車の窓から外を見た。灯火管制でネオンの影響を受けない夜空 の星が、美しく輝いている。
ふと、舞の脳裏に先程出会った金髪碧眼の男が浮かんできた。傷ついた足を手当 てしておいたが、あれからちゃんと無事に家路に辿り着いたのだろうか。

『あの男…おそらく、亡命外国人の血筋だと思うが……この地にあのような者が いたとは、人間もまだまだ捨てたものではないという事か。又、会えると良 いのだが…』
自分に抱えられて、慌てていた男の姿を思い出すと、舞はうっすらとその顔に 笑みを浮かべる。
更紗は、バックミラー越しに舞の表情の変化に気付いたが、あえて見ない振り をした。

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